FPD産業が新たな局面へ 生産性向上の鍵がここに
FPD産業が新たな勢力図へと塗り変わる
日本を震源とした業界再編の地殻変動
今後,隣国の韓台中への余波も(1)
北原洋明/テック・アンド・ビズ 代表
08年2月26日,シャープとソニーが提携し,大阪・堺市の第10世代LCD工場で合弁会社を設立,大型LCDパネル・モジュールの生産・販売を行うとの記者会見が行われた。先立つ07年の後半には,国内FPDメーカーの再編劇が頻発し,FPD業界が大きく揺れた。シャープとパイオニアの資本・業務提携に続き,同年12月21日にはシャープと東芝によるLCDパネルと半導体の相互供給,さらに12月25日には,松下・日立・キャノンによるLCDパネル事業での提携発表である。この結果,新しい年08年を迎えた正月には,シャープ・東芝・パイオニア陣営と松下・日立・キャノン陣営という大きなアライアンスが出来上がり,今回,新たにシャープとソニーの提携に至った。
ついに来た本震,次なる震源地は

図1 大型TVの業界再編成図
今回のシャープとソニーの提携により,海を挟んだ日本と韓国の間にも大きな激震が走った。ソニーは,すでにSamsung Electronicsとの提携を04年4月から行っており,両社が出資するS-LCDからのパネル調達も行っている。記者会見の場では,この両社の関係継続だけでなく,日韓関係にまで言及する質問も出た。
一連の再編劇の中でも,今回のシャープとソニーの提携のインパクトは大きかった。今後のFPD産業に与える影響も大きく,今回の一連の再編劇の中でも,“本震”であったと言えるのではないだろうか。そして,07年に起きたいくつかの動きは,その前兆でしかなかったとも言える。さらに,本震の後には,いくつかの“余震”もあるだろう。また,今回の本震によって大きく動いた日本の地殻変動の影響は,FPD産業の隣国である韓国・台湾・中国にも及んで行くと思われる。その時には,それぞれの地域を震源とした新たな再編劇が起きることも十分に予想される。
FPD産業の節目の年となった07年
07年は,この再編劇が始まったということ以外にも,時代の転換点となるいくつかの出来事があった。それは,(1)FPDの世界市場規模が1000億ドル(10兆円規模)を超えた,(2)TV向けパネルの出荷数が1億枚を超えた,という二つの出来事である。FPD産業に関わる者が目指してきた一つの大きな目標が,「10兆円産業」であり,現在のFPD市場を牽引している最大のアプリケーションである「FPD-TVが1億台の大台に到達」と同時に達成されたことは,まさにFPD時代の節目を名実ともに表す出来事である。
その他にも,07年という年は,将来に向けた様々な動きが見えてきた年でもあった。(1)しばらく停滞気味であった有機ELが再び動き出した,(2)FPD-TVの薄型化が一気に進行,(3)低消費電力化の方向が一層明確になった,(4)LCD対PDP,有機EL,FEDの競争が続く中,LCDのシェアが相変わらず高く,今後しばらくはFPD全体の90%を占めていくことなどが,よりはっきりとしてきた。
10年代に向けた地殻変動

図2 直視型大型パネルの視点から見たLCD産業の進化
07年が節目の年になったという意味は,長い目で見れば10年代に向けた時代の変化の始まりであると言うことを意味する。
00年代に入ってFPD-TV市場が立ち上がり,00年代中盤に大型化が一気に加速して100型を超える大画面FPDが実現した。この結果,00年代後半には,FPD-TVの大型化と言う観点での一方的な拡大は落ち着き,10年代に向けた胎動が始まる。このターニングポイントとなったのが,07年であった(図2参照)。
一般的に,産業の成長過程では,S字カーブを描いて拡大していく。画面サイズの大型化に牽引されたFPD産業においても,この様な産業の成長に伴うS字カーブを描くであろうことについては,すでに本誌連載「続・新液晶産業論」07年1月号に書かせて頂いた。このS時カーブの先にある10年代の新しい時代に向けて,業界再編成を含めた様々な動きが今後も出てくるだろう。
再編の裏にある技術と製品の進化
ディスプレイを取り巻く環境は時代とともに進化している。その時代の流れの中で,製品と市場,そして生産の競走ポイントも進化してきた。今起こりつつある,業界再編もこの技術と市場の進化の流れの中にあると言える(図3参照)。

図3 時代とともに進化するFPDの技術と市場
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FPD産業は,LCDを主役として90年代に本格的に立ち上がった。その時代はPC用途を主としたITの時代であった。この時代は,産業の本格的な立ち上がり時期であり,如何にして生産性を上げてコストを下げ,市場を拡げるかという観点での競争に重点が置かれていた。その典型例がガラス基板の拡大競争であった。
この時期,90年代の後半から00年代の前半にかけては,日本メーカーと台湾メーカーのアライアンスが数多く成立した時期でもあった。この背景には,バブル崩壊後の日本経済の停滞という面もあるが,それ以上にIT市場に向けたLCDパネルの生産と調達を狙う双方の思惑があったとも言える。